働くってなんだろう

work

今日も波がやってくる。むしろ、ここ数日。

それは、求人サイトを見て見て見まくる、という波である。

春に仕事を辞めて以来、かねてからやりたいと思っていた①家の片付け祭りを敢行し ②夏休みの初・家族海外旅行の企画、準備、実施と突き進み、今は ③やってみたかったことをやる(漢方の勉強をしたり、ブログを開設したり)をしている。

全くもって、うちに経済的に余裕があるわけでもなく、さっさと働いてほしいであろう人間を許容してくれている夫には感謝しかない。

この数ヶ月、いろんな本を読んだり、会いたかった人に会いに行ったり、オーストラリアに行ったりと、また世界は広がった。
(今回の写真は、オーストラリアで訪れたマーケットです)

そして、広がるたびに、この先どうしていこう、と思う。
いろんな声がきこえてくる。

一度しかない人生なのだから、やりたいことをやろう。

好きなことを仕事にしよう。

やりたいではなく、人から求められることをした方がいい。

今しかない家族との時間を大切にしよう。

子供たちのこれからを応援できる力をもとう。

何かあった時のためにも自立しないと。

私は片付け本が大好きで何冊も読んできた。
どの本にも、片付け切ると人生が変わるとか好転するとか大事な物が見えてくるとか書いてあるのだが。
腰を据えて片づけたはずの我が家は、前よりはマシだけれど、すっきり度は理想の50%程度。
つまるところ、たいして片付いてもおらず、そのせいか人生も見えてこない。

社会人になって初めて、こんなにまとまった自由時間=一人時間を貰っている。
私は、自分の性分として、専業主婦は向いておらず、家にずっといるなんて耐えられないだろうと踏んでいた。
3ヶ月もしたら働きたくなるだろうと。

ところがである。

家に一人でいる、って最高だ。

まず、天気がよければ朝から何度も洗濯機を回し、毎日のように布団を干すことができる。

毎日掃除機をかけられるし、朝の食器は朝のうちに片付けられる。

何かやろうと思ったら、自分のペースで、且つ、非常に集中して行える。

具合が悪かったら休めるし、思い立ったら病院にも行ける。ずっと放置してきた不調も、これを機に、と期間をかけて通院することもできる。

塾で帰りが夜遅い子供にも、ご飯を出してから送り出すことができる。

とても、快適で楽しい生活なのだ。

今はこうして文章を書くことも始められた。

そんな、充実した生活の一方で、ずっとこの生活を続けられないことも分かってはいる。

そうして、冒頭に書いた波が押し寄せてくる。

…働いてお金を稼がなきゃ。
でも、このお金をもらって使わなければ生きていけないサイクルから、離れてみたいとも思っている。
せめて、好きなことで収入を得られないものか。フリーランスとか、何かのお店を持つとか。
いや、フリーになるほどの知識も技術もないのだし、どこかに勤めるべきなのだ…

この思考のぐるぐるの中で、求人サイトをガンガン、スクロールしていく。

うっかりサイトに登録すると、一日に何通も新着求人のメールが届く。
最初は目新しくて開くけれど、そのうち未開封のままやり過ごすようになる。

世の中には仕事がこんなにも溢れている。
だけど、私がやりたいと思えて尚且つできる条件の仕事は、なかなか見つからない。
私が甘っちょろすぎるのだと思う。

まだ何の答えも出ていないけれど。

人はそんなにせかせかと生きなければいけないんだろうか。

仕事を終えて帰ってきたら、勢いでご飯を作る。食べる。お風呂に入る。洗濯を回して干して畳む。寝る。

子供は菓子パンを食べて遅くまで塾に行き、帰ってきて誰より遅いお夕飯を食べる。

毎週土曜日は、自分か子供の通院。

これが、春までの私の生活だった。

何の答えも出ていないけれど、次はもう少し無理なく働きたい。

仕事と家庭、二つを天秤にどころではない。

天秤のお皿は放射状にいくつも広がっていて、仕事、家族の時間、自分の時間、お金、健康、やりがい、未来、それから他にも。たくさんの物事をはかり、真ん中を取ろうとしている。

働くって何だろう、とこんな歳にもなって青臭いことを考えつつ、それでも、そろそろ誰かと社会で繋がりたいなと思い始めている。

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