取材して記事を仕上げるということ

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年明けから3ヶ月、ライター養成講座を受講した。
年末、思い切って申し込んでみた自分に、よくやった!と言いたい。
それくらい、目が開かれる日々だった。

この講座は、ローカルメディアが主催しているもので、記事ができあがるまでの行程や、大切にしていることなど、順を追って学んでいく。
そして、講座終了までに、自分で取材先を探し、取材して、原稿を仕上げるところまでを実践する。
その後、編集部の校正が入り、最終的にはメディアに掲載される。

「もっと人に伝わる文章、読んで良かったと思える文章を書きたい」
「書くこと、地域を面白がれる人たちに出会いたい」

これが、受講のきっかけだった。

いざ実践となって分かったこと。

⚪︎取材は、時間管理が難しい上に、分からないことをそのままにしがち。
 あとから「もっと突っ込んで聞いておけばよかった…」と後悔の嵐だった。
 相手はA=Bで繋げられる話も、私にとっては、AがなぜB??とブラックボックス。
  分からないことをそのままにしない!必ず聞く。
  自分が分からないことは、きっと読者も分からない。

⚪︎取材メモを書き起こすだけでも、本当に一苦労。
 自分の書いた字が読めないとか、メモの言葉が足りなくて意味が伝わりにくいとか。
  メモと言えど、他者に書くつもりで書く!
  誰が見ても分かるように。 

⚪︎膨大な書き起こしから、どうやって記事の起承転結にまとめるのか、字数を削るのか。
 (この時は6000字を、ほぼ半分の3000字台まで削ることに)
 どの言葉、どのエピソードは残し、どれは削るのか。
 そして、残す文章は、どの順番で並べるのか。
  どうしても伝えたい言葉やエピソードを残し、なくても伝わるものは削る。
  本文以外のタイトル、リード文、写真のキャプションなども、うまく活用する。

⚪︎文章のどこに、どの写真をいれるのか。
 更に、自分で撮影した写真が使えない使えない。。
 構図が悪かったり、ぶれていたり、もっとこういう場面をとっておけばよかった、と思うことばかり。
  「こんな写真を使いたい!」をどこまでイメージできているか。
  撮影時は、文章中に入れ込むことを考えながら、画像を確認する。
  取材先から写真をお借りすることも、可能かどうか確認しておく。(私は数枚お借りしました)  

⚪︎写真の色合いや明るさ、トリミングなど、編集が必要。
  逆に、構図は後から変えられないので、とても重要!!

⚪︎写真それぞれにキャプションをつけるが、どんな文章をつけるのか。
 写真の説明か、本文に書ききれなかった文をちりばめるのか。
  全体の流れと、写真と、キャプションと、何回も見返して、バランスを考える。

ライターさんの文は、当然ながらうまい。リードも、結語も。その人らしさがにじみでる言葉がある。
原稿を仕上げる期間、同じメディアの他の記事や、佐藤友美さんの毎日更新されるコラム、今日もコレカラをよく読んだ。

編集部では、慣れている方で原稿書き上げまで3時間、と言っていた。
私はと言えば、取材以来、毎日、毎晩原稿と向かい合っていた。3時間の10倍でも足りないくらい。
読みやすさ、正確さ、面白さ、自分らしさ。
講座で何度も伝えられた「私がその記事を書く必然性」はどこにあるのか。
取材を通して、私にもたらされた変化、気づき、それは誰かの背中を押すものになるだろうか。

取材記事はエッセイではないので、書き手の思いは多くは綴らない。
かといって、人や場所の情報を伝えるだけではないので、書き手の主観もゼロではない。
単なる紹介に留めず、でも、私が書く意味も織り込む。
想像以上に自分と向き合い、言葉を絞り出す作業だった。

3月末、ようやく完成、というよりは、もう自分ではやりようがない、と原稿を手放して編集部に託した。

ブログと違い、誰かが読んで、良いも悪いもきちんと指摘してくれる安心感。
一人じゃない、という心強さ。

記事はまだ完成していないが、これだけ自分の中に落とし込み、言葉を掬い上げる作業に没頭できたこと、それがちゃんと人に届くこと。
講座の最終回では、他の受講生からも原稿に対する意見をいただいた。
読んでもらい、面白かった、と言ってもらえることが、どれほど嬉しいことか。

何度も、もう無理…と思い、自分のできなさに直面したけれど、最後まで書き上げる体験は、また味わいたくなる気持ちの晴れやかさを連れてきた。
この目で、もっと新しい世界を見に行きたい。

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